イタリアの結婚式事情(モデナ)
8月は雨で終わりました。
雨上がりの8月最終日は肌寒く、秋近しを実感した1日でした。
夏の終わりを告げるツクツクボウシの鳴き声をきいていると、何度季節が巡っても今年の夏は二度と戻ってこないのだと毎年実感します。
さて皆様にとって、2017年の夏はどのような夏でしたか?
私は今年の夏、イタリアのエミリア・ロマーニャ州にあるモデナに住む叔母の元へ訪れました。
叔母の子ども(私の従姉妹)の結婚式に参列するためです。
以前、国が違えばお産や子育てのスタイルが異なることを記事にしましたが、結婚式の流れも日本とは大きく異なっていました。
(過去記事:「イタリアの出産事情」「イタリア語から考える親子のコミュニケーション」)
イタリアの結婚式事情
従姉妹の結婚式はAM10時に始まり、解散したのがPM8時と長時間でした。
イタリアでは日本のように司会進行役はおらず、型にはまったスケジュールがないため、時間を気にせずに朝から晩までパーティーが続きます。
挙式のはじまりは、地元のモデナ市役所でした。
イタリアの結婚式は、市役所もしくは協会で行う2通り(民事婚と協会婚)があるのですが、従姉妹は無宗教のため役所を選択したそうです。
市役所と聞いた時はシンプルな建物を想像していましたが、実際のイタリアの市役所は古き良き趣を残した歴史的建造物でした。
市役所内には結婚式専用の一室があり、絢爛豪華な内観は圧巻です。
証人の署名や指輪交換、写真撮影等を行い・・・
役所の外では、ライスシャワー(米粒を新郎新婦にふりかける儀式)を行いました。
日本ではフラワーシャワーが一般的ですが、イタリアでは豊作・子孫繁栄の象徴でもあるお米を用いる習慣があります。
そして挙式後は、各々で披露宴会場に車で移動します。
一般的にイタリアの披露宴会場は、貴族の邸宅や古城、一軒家レストランを貸し切って行われます。
従姉妹たちも、プール付きの広い庭がある一軒家を貸し切っていました。
会場についたら、まずは庭でアペリティーボ(食前の軽い食事)をつまみながら自由に過ごします。
しばし談笑をしていたら、新郎新婦が地元モデナ発のマセラティで登場しました。
その後、ガーデンテラスの披露宴会場内に移動し、イタリア料理のフルコースが始まります。
さすが美食の国と言われるだけあって、どの料理もとても美味しかったです。
ゲストたちは料理の評価をしながら、次から次へと運ばれてくる料理を楽しんでいました。
イタリアでは、披露宴の間に出し物やスピーチ、両親への手紙等が一切ありません。
アットホームな雰囲気の中、時間を気にせずにゆっくりと食事を楽しみながら談笑して過ごします。
そして食事がひと段落した後も、各々が自由に過ごします。
昼寝をしたり、プールに入ったり、カラオケしたり・・・
ケーキカットやブーケトス、新郎新婦の歌とダンス等もありました。
「ジャパニーズも何かイタリアの曲を歌って!」と言われたので、私はサンタルチアを歌いました。
そうこうしているうちに時刻は19時を過ぎており、ゲストも少しずつ帰り始めました。
ゲストが帰る際、叔母がゲストたちに「コンフェッティ」というイタリアの伝統菓子(アーモンドの砂糖菓子)をプレゼントしていました。
コンフェッティには、"子孫繁栄"や"不滅の愛"といった意味が込められており、古くから披露宴のお引き菓子として配られ続けているものです。
一方でゲスト側は、結婚祝いにプレゼントを渡すのが一般的です。
日本のようなご祝儀や会費等を渡す風習はありません。
プレゼントの内容は様々ですが、例えば・・・
事前に新郎新婦が家電用品店やデパートに訪れて欲しい物をリストアップしておき、後日 友人たちがそのリスト内からプレゼントしたいものを選んで購入するという方法がポピュラーだそうです。
他にも友人数人でまとめて新婚旅行費をプレゼントすることもあるそうです。
(私は日本式のご祝儀にしました。)
以上が日本とは少し異なるイタリアの結婚式事情でした。
今回の挙式で何よりも感動したのは、ここまで娘を育ててきた叔母の凜とした姿でした。
叔母は日本で生まれ育ったのですが、イタリア人のご主人と出会った後にイタリアに嫁ぎました。
その後、言葉もよく分からない異国の地で、2人の子どもを産み育てます。
しかしまだ子どもが幼い時に、最愛の夫が事故で他界しました。
それから叔母は、子育ての傍らイタリア語をマスターし、現地で医療資格をとった後に病院で働き始めます。
そして約30年間、叔母は女手一つで2人の息子・娘を立派に育てあげました。
今もなお、病院で働き続けています。
そんなエネルギー溢れる生き方をしてきた叔母だからこそ、結婚式で娘を見送る際の凜とした姿がとても格好よかったです。
忘れられない夏になりました。
皆様にとって、今年の夏はどのような夏でしたか。
〜追記〜
職業柄、イタリアのベビー服も気になったので、観光がてらベビー用品店にも寄り道しました。
記事はこちら→イタリアのベビー服
〜関連記事〜
・イタリアの出産事情
・イタリア語から考える親子のコミュニケーション
・ハワイの育児用品
・オーストラリアの魅力と育児用品
港助産院
城野育
Con amore..
その後、言葉もよく分からない異国の地で、2人の子どもを産み育てます。
しかしまだ子どもが幼い時に、最愛の夫が事故で他界しました。
それから叔母は、子育ての傍らイタリア語をマスターし、現地で医療資格をとった後に病院で働き始めます。
そして約30年間、叔母は女手一つで2人の息子・娘を立派に育てあげました。
今もなお、病院で働き続けています。
そんなエネルギー溢れる生き方をしてきた叔母だからこそ、結婚式で娘を見送る際の凜とした姿がとても格好よかったです。
忘れられない夏になりました。
皆様にとって、今年の夏はどのような夏でしたか。
〜追記〜
職業柄、イタリアのベビー服も気になったので、観光がてらベビー用品店にも寄り道しました。
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