映画「美女と野獣」から考える親と子の関係性
先日、実写版の「美女と野獣」を映画館で観てきました。 狭い村で暮らす美女(ベル)は村人たちから「人と違う変わり者」と呼ばれており、ある日父に尋ねます。 「私って変わり者なの?」 すると父のモーリスはこう答えます。 「君は変わり者ではない。お前の自由な心を誰も理解できない。この村は小さすぎる。」 唯一、父のモーリスだけがベルの「人と違う」ことを受け入れています。 そして比較や差別、否定を親からされることなく育てられてきたからこそ、「人と違う容姿」の野獣に出会った時のベルは、彼の容姿を否定しなかったのでしょう。 ベルが野獣を否定したのは、野獣のすさんだ内面に関してのみでした。 そして「野獣という外見」にコンプレックスを抱いて心を閉ざしていた野獣も、「人と違う」ことを受け入れてくれるベルに出会ったことにより心を解放していきます。 まさに「自己受容」と「他者受容」をうまくあらわしている映画だと感じました。 人と違うということを受容し、自分らしくまっすぐに生きていくために大切なことは、身近な人間の理解や、自分を受容してくれる人との出会いなのではないでしょうか。 特に幼少期から最も近くにいる親が、自分の子どもを他人の子どもと比較せずに認めてあげることが大切です。 子育てをしていると「うちの子は太りすぎている」「うちの子は標準体重よりも小さい」「友人の子どもは離乳食を食べているのに、うちの子は食べてくれない」等、ついつい比較・否定してしまいがちです。 このような比較や否定は、子どもが成長して大人になってからも変わりません。 「隣の家の子は結婚したのに」「うちの子の給料は低い」など・・。 子育てに限らず、他人との信頼の深さは「どれだけ自分のことを信頼してくれているか。認めてくれているか。受け入れてくれているか。」だと思います。 そしてそのことを伝える手段のひとつが、「言葉」です。 ポジティブな言葉のシャワーをたくさん子どもにかけてあげてください。 言葉は「言霊(言魂)」というように、言葉は時に「薬」にもなりますが、時に「暴力」「束縛」にもなり得ます。 また美女と野獣を観ながら、心理学でよくつかわれる「 鳥かごの中の鳥の話 」を思い出しました。 鳥かごの中に鳥を入れておかないと鳥は逃げてしまうという思いから、「束縛」「コント