雪の教室@長野県志賀高原
冬の終わりを告げるように、桜の開花前線が到来しています。 平成最後の冬はいかがでしたか。 冬の思い出といえば・・ 私は子どもの頃によく家族でスキー場に行っていました。 姉と弟は行くたびに上達していたのですが、私だけは何度滑っても上手になりませんでした。 スピード感や転ぶことに対する恐怖心が強かったからです。 そんな私に母はマンツーマンで付き添い、丁寧に教えてくれました。 ある日、いつも通りに母の後をゆっくりと追いながら急斜面を滑っていた時、事件が起きました。 後方で滑っていたスノーボードのカップルの男性(大人)が、私の背中に衝突してきたのです。 その衝撃で私のスキー板は外れ、私は雪だるま・・いや、ダンゴ虫のようにコロコロと坂道を転がり落ちました。 当時小学生(低学年)だった私は、死の恐怖を体感しました。 その時は母が救助してくれたのですが、その時の母の言動を今でも鮮明に覚えています。 まず母は、スノーボードの男性を追いかけ、「ちょっとあなた達、子どもにちゃんと謝りなさいよ!」と一喝! 謝りもせずに何食わぬ顔で通り過ぎて行ったカップルのことが許せなかったのでしょう。 カップルの男性はふてぶてしく謝ってくれましたが、そんなことよりも母が私の身体だけではなく心も守ってくれたことが嬉しく、心強かったです。 我が子を守るために必死になっている親の姿というものは、子どもには伝わるのですね。 それから十数年後、また同じような事件が起きました。 20代になった私(学生)は、スキーのカウンセラーとして小学生にスキーを教える立場になっていました。 山梨大学の 山梨幼児野外教育研究会(野外研) という団体の一員だった学生の私は、幼児〜中学生の子たちと共に、夏はキャンプ、冬はスキー合宿に参加していました。 ある年の雪の教室で、子どもたち数人と共に滑っていた時、後方で滑っていたスノーボーダーが子どもに衝突したのです。 巻き込まれた子どもは、当時の私のように坂道を転がっていきました。 ぶつかってきたスノーボーダーは私には謝ったのですが、そのまま滑り去ろうとしていたので、子ども本人にも直接謝罪するように伝えました。 十数年前の事故がフラッシュバックして、あの時の母の姿を思い出したのです。 子どものスノースティックは折れてしまいました